先日、帰省をした時に父と子供達の現状について話しました。
父は昔からジャンルを問わず、本を読んでいます。実家は父の本だらけ。リビングから寝室から…トイレまで。
そして、その姿勢は現在も変わる事はありません。
その為、息子が学校に通っていない、通えないという現状は理解をしてくれる。きっと自分には考え付かなかった事を言ってくれる。
そんな考えを持っていました。
しかし、今思えばそれは父がそうであって欲しいという自分自身の願望だったのかなと。
結論として、父としては自分達が歩んで来た様な道を歩むべきだと。
学校に通って周りと比べて、自分の位置を確認しておく。
結婚をして、マイホームを持ち、子供を育てる。
そこに幸福を求めて欲しかったんだと思います。
9歳の息子がある時、言ったのです。
「自由な外国の高校に行きたい」
その時は、自分としては「ヨシ!良く言ったな!!」と。
その事を父に話したのですが、その時「何でそんな事を考えてしまったんだろうな…」
父は、息子の発想に興味を示すのだろうと思っていましたが、寧ろ息子の発想自体を変えなければならないという考えでした。
自分が父に話すタイミングもあったり、父は自分の孫が学校に通えていないという事実を全く想定していなかったと思います。
只、父が孫に対する期待はあまりにもハードルが高い様にも思えます。
そもそも息子がこれから越えて行くハードルその型自体が自分や父が想像できない型なのかもしれません。
「学校の対応はどうなんだ?教育委員会に相談すべきじゃないのか?」
確かに。
自分が小学生だった30年以上前であれば、理解でます。
しかし、現在において息子は学校に通えない子供達の多数の中の1人です。
特別ではありません。
今、自分達がすべき事はその子に合った居場所を見つけてあげる事。
そして、暖かいご飯と手が行き届いた帰るべき家を用意してあげる事。
これが出来れば、後は何とかなる気がします…多分ね。
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